箱主さんブックフェア

テーマ:あなたの人生に影響を与えた本

箱主さんブックフェアとは

定期的に変わるテーマにそって、箱主さんがセレクトした本が並ぶHONBAKOのお店の人気コーナー。今回のテーマは「あなたの人生に影響を与えた本」。心が震えたり、感動したり、励まされたり、腑に落ちたり。本との出逢いが、自分一人では辿りつくことの難しい、視野や、価値観、見識に触れ、深めることにつながるかもしれません。

これ以上ないタイミングで出逢えた本

昨年、同居していた両親を相次いで見送った。父は99歳。母は93歳。二人とも、最期の時は私が手を握っていた。

始まりは7月。父がコロナに感染、高熱を出し救急搬送。その2日後に母も陽性に。高齢に加え持病もあったことから、二人同じ病院に受け入れていただいた。5類になり、マスクなしOK、お祭りなどのイベントも復活し、明るい話題が飛び交う中、母もすぐに退院するつもりで、お気に入りの服を来て、お気に入りのキャリーケースを持って入院した。高リスクを抱えていることは認識していたが、本当に急変して1週間ほどで旅立ってしまうとは思いもしなかった。

ドラマのシーンのような事って、本当に起こるのだと知った。病院から連絡が入り、病院に駆けつける。5類になったおかげで防護服を身に着け病室に入ることができた。父はすでに母と一緒にいて、モニターの数値は0-5とか30とか…。私が手を握ると、少し握り返してくれ、30台だった心拍数が70に、0-5だった呼吸数が16に。「お母ちゃん、びっくりするやん。むっちゃ正常やんか!」母がうっすら笑みを浮かべた気がした。弟がもうすぐ来るからと励まし、ファイト!ファイト!と言いながら手を握り続け、30分ぐらいは頑張ってくれていた。エンジニアだった父は「数値が0- 0-になったなぁ」とポツンと言った。99歳の父親に酷だとは分かっていたが(父もコロナ性肺炎で一時かなり危ない状態にあった)、私は自分のわがままで、今、急に二人ともいなくなるのは耐えられないので、絶対家に帰ってきてほしいと頼んだ。父は「分かってる」と答えた。

そして、約束通り父は自宅に帰ってきた。酸素濃縮器とともに。本来なら、療養型の病院に転院し、リハビリで体力を回復してから自宅に戻るべきところ、転院を断固拒否して戻ってきた。父は母にお参りをし、自宅に帰るという約束を果たしたら、その日のうちに寿命が尽きると思っていたと(そのように自分で設計していたと)言った。退院日の担当だった訪問看護師さんが、父の状況を見てすぐに、痰の吸引器が必要と判断、届けてくださった。彼女からレクチャーを受け、酸素投与と痰の吸引を行うという生活が突然始まることとなった。シルバー人材センターに何か仕事でもしようかなぁと思って登録に行ったら、いきなりその日から、コロナ病棟から転院してきた超高齢の心不全患者の担当に派遣?されるみたいな状況だと思った。全てが初めての経験ばかり…。

SpO2の値がどんどん下がっていく中、投与する酸素の量を調整しながら、意を決し痰を何度も吸引した夜もあった。かかりつけ医の従兄(父の甥)の往診と指導、訪問看護師さん、ケアマネさん、身内や友人たち… 一番厳しい時期を何とか乗り切った。いろんなことを教えてもらった。いろんな人に支えてもらった。そして、いろんなことを想った。そんなタイミングで出逢ったのが「エンド・オブ・ライフ」。父のベッドの横にマットレスを敷いて夜中様子を見守りながら、小さなライトをつけて、一気に2日ほどで読んだ。ただただ、感動した。人間である限り、誰もがいつかは命を閉じなければならない日が訪れる。いろんな患者とその周りの人たちのエピソードが、静かに心にしみ入った。

高校の教員をしていたので、医師や看護師など医療分野に進んだ生徒たち、介護など福祉分野に進んだ生徒たちを沢山見てきた。病気や障害を抱えながら、思いっきり頑張って学校生活を過ごし、それを応援していた家族の方々との出会いも少なからずあった。酸素や点滴の管理、痰の吸引…いろんな家族が毎日普通にやっていることなのかもしれないと思ったりもした。

結局父は母が亡くなって4か月後に、自宅でまさにロウソクの火がすーっと消えるように眠りについた。ほんの2時間ほど前まで、普通に会話し、ベッドの上で「エイエイオー」と声を出しながら、足のリハビリ体操をしていたので、まさかという感じ。亡くなる1週間前の夜、突然「今日、お父さんはいよいよお迎えが来ると思うんで、今日でお別れや。これから『蛍の光』を歌います」と言い、大きな声で『蛍の光』を歌い出した。「パチンコ屋さんの閉店かいな!」と思わずツッコミを入れ、一緒に笑いながら歌った。その時のバイタルは「体温:36.5 血圧:111/68 心拍数:68 SpO2:98」という状態で、「こんなデータの人が絶対すぐには死ねへんって」と言ったことを思い出す。

「延命措置は一切いらない」「できれば自宅で老衰か、ピンピンコロリ状態で最期を迎えたい」「死亡診断書は主治医の甥に書いてほしい」という彼の願い。とりあえず、叶えることはできたのかなぁ。

こんなエピソードの最中に出逢い、傍らで寄り添ってくれた本です。

追記
奇しくも、昨年11月、父が亡くなったすぐ後に、佐々涼子さんの新刊「夜明けを待つ」が発売された。本の帯には「生と死を見つめ続けてきたノンフィクション作家の原点がここに!初のエッセイ&ルポルタージュ作品集」とある。「エンド・オブ・ライフ」に描かれている在宅医療の現場と看取り…さまざまな「命の閉じ方」にとことん向き合ってこられた佐々さん。今、彼女自身が悪性の脳腫瘍に罹り、残された時間の中で「まるで果実が実り落ちるようにして完成した」一冊だと、その想いを「夜明けを待つ」のあとがきの中で書いておられる。横浜のこどもホスピスを取材されたときのエピソード。施設を利用している子どもたちが、キラキラと輝き、遊んで「ああ、楽しかった」とだけ言って、次の約束などせずに別れていくと。「なんと素敵な生き方だろう。私もこうだったらいい。」と綴っておられる。

#Organic-78 なかすが けいこ

タイトルエンド・オブ・ライフ
著者名佐々 涼子